宮沢賢治はニートだった?「好きなこと」をやり続ける重要性について

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こんにちは、バキ子@bakikomanです。

先日、NHKの『知恵泉』という番組で、宮沢賢治が取り上げられていました。

これがとっても面白かったのでちょっと紹介します。

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宮沢賢治というと、何となく品行方正・清廉潔白なイメージがありますよね。

童話をベースにした哲学的で清らかなファンタジー文学作品が多数残されています。
 
誰かのために生きることの意義深さ(利他主義)を繰り返し小説に書き、
 
裕福な家庭に生まれながら、質素な生活を続けていたそうです。
 
 
清く正しく美しく。
 
イメージカラーは青。
 
みたいなね。
 
 
でも今回の『知恵泉』では、賢治のちょっとおかしな部分・自分勝手な部分・社会人としてダメダメな部分を取り上げていて、中二病感満載 で非常に面白かったです。
 
 
 
その時にふと思ったんですよ。
 
「自分勝手」って本当に悪いことなのかな?
 
なんとなく私たちは「自分勝手」と聞くと負のイメージばかり持ちがちですけど、
 
そうバッサリ決めつけることもないんじゃないかと思うんですよね。
 
始終そういう態度の人はただの「困ったちゃん」ですけど、
 
必要な時には我を通して空気を読まずに物事を追求することも大事です。
 
そういう時期をちゃんと経験しないと、寛容な大人にはなれないんじゃないかと思うんですよねぇ。
 
 
それだけが理由ではありませんけど、「自分勝手」に生きる時期って、人にとってけっこう重要なんじゃないかな・・・・
 
宮沢賢治の作家としての人生から見る、
 
「自分勝手に生きることの重要性」について考えてみたいと思います。
 
 




 宮沢賢治は詩が好き。

 
 
皆さんは宮沢賢治、好きですか?
 
私は「嫌いじゃないけど、好きというほどでもない」というレベル。
 
好きな詩や小説もあるにはあるけど、半分くらいは、ちょっとなに言ってるのか分からない。
 
でも言葉づかいも文体も、誰にも真似できないオンリーワンの雰囲気を持っていて、
 
今となっては日本文学史の中で燦然とした輝きを放っている個性的な作家だと思います。
 
 
 
詩集の「春と修羅」なんかは好きですね。名詩が何篇もあります。
 

 
 
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲てんごく模様
 
(正午の管楽くわんがくよりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
 
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
 
つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
 
 
 
おおぅ、言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい自信だ。
 
いいよ、カッコイイ!!
 
さて、そんな賢治先生を『知恵泉』はどんなふうに紹介したのかというと・・・・
 

最先端カルチャーにかぶれていた少年時代

もともと裕福な家庭に生まれた賢治は、若い頃から音楽や文学、それに鉱石採集などに熱中していたそうです。
 
 
石川啄木のファンで、後に短歌を自分で作るようにもなりました。
 
 
学校の成績はズバ抜けて優秀だったそうですが、伝記などを読む限りでは勉学よりも当時の最先端カルチャーや趣味の世界を追求するほうが好きだったようです。
 
 
それに加えて、自分の家は豊かなのに、周りの多くの人々は貧しい生活を送っている、という残酷な社会の矛盾に憤り、苦しんでいました。
 
 
・・・・なんか、こういう状況って現代の私たちと非常に被りますね。
 
 
あんまり普段意識はしないけれど、テレビやネットや音楽や漫画などのあらゆるメディアをむさぼって、質素だけれど食にも困らず生活している自分を振り返ってみると、賢治の置かれた恵まれた状況と結構似てるよなぁ、と思いました。
 
 
そういう恵まれた環境にいたとしても、人ってなかなか人生に満足できないんですよねぇ。すぐに次の悩みが生まれてしまう。
 
 
この構図って、昔も今もさほど変っていないような気がしますね。
 
 
そういう恵まれた層が増えた、というだけのことで。
 
 
 

宮沢賢治は中二病!?

 
 
それはさておき、
『知恵泉』を見る限りでは、宮沢賢治は中二病っすね、完全に。
 
 
親の商売を嫌って批判しながら、そのお金で高等教育を受けていたり。
 
 
24歳で家出をして東京に出た時も、結局親の仕送りで生活していたり。
 
 
なにか高い志はあるのだけど、イマイチ空回りしている感じ。
 
 
頭でっかちで、自意識が強くて、自分勝手。
 
 
んー・・・・
 
 
大学生の頃の私って、こういう感じだった気がするなァ・・・
 
 
ちょっと遠い目になりました。
 
 
『知恵泉』では挙句の果てに
 
 
「宮沢賢治はニートだった」「パラノイアだった」
 
 
みたいな発言まで出る始末。
 
 
そ、そういう面もあったのかもしれないけどね・・・
 
そこまで言わなくても・・・ちょっと賢治に同情してしまいました。
 
(;’∀’)
 
 
死後に隠していた手帳とか手紙とか引っ張り出されて、
 
後の世からそんな風に分析されているなんて・・・
 
賢治が観たら
 
 
 
「うわあああああぁぁぁぁぁl!!!!」
 
(;゚Д゚)
 
 
て感じでしょうね (;^ω^)
 
 
 
 
でも、こういう「自分勝手」に生きて、好きなことに没頭できる時期というのは大事だと思うんです。
 
たとえ今、振り返って無益だったな、と思うようなことも、今の自分を形作るなにかしらの「いい要素」にはなっていると思います。
 
その時期に得たもの・感じたこと・体感したことが、その後の自分を支えてくれている。
 
30を過ぎた今、私はそんな風に感じています。
 
少なくとも全然自分の思い通りに生きられなかった人よりはラッキーだし、
 
人生に納得がいくんじゃないかな。
 
 


 作家やクリエイターはエゴがあってなんぼでしょ

 
でもこういう賢治のダメダメな所、影の部分を知っていると、残された作品にも親近感が湧いてきますよ。
 
「自分はぜんぜん清くも美しくもないから、せめて作品世界だけでも美しくありたい」
 
そんな思いで書いていたのかも知れません。
 
 
あの有名な「雨ニモ負ケズ」の詩だって、「そういう人に私は成りたい」と単なる願望を言っているだけですよね。
 
 
「そーです、私が立派な人です」と言っているわけではない。
  
 
それに作家さんに限らずクリエイターの方って、このくらい強烈なエゴイズムと自分の世界に没入するマインドが無ければ勤まらないんじゃないかと思います。
 
私も以前の仕事で演出家の先生や作家の方と何度かお会いする機会がありましたが、
 
話していて感じるのは、常に
 
ここじゃないどこかを見てるな、
 
という雰囲気。
 
目の前の現実から一歩浮いて存在しているような感じの人が多い。
 
話していてもちょっとフワフワしてるんですよね、会話が。
 
まあようするに、変人ばっかりの世界です。
 
(^_^;)
 
 

まとめ

 
 
長くなってしまいましたが、今回の雑文のまとめ。
 
 
 
 
1、私は宮沢賢治の詩がわりと好きだ。
 
2、宮沢賢治は「中二病」だったと思われる。
 
3、「自分勝手」に生きられる時期は超貴重だから大切にしよう。
 
4、クリエイターは多少、浮世離れしているくらいでちょうどいい。
 
 
それにしても、これだけ破天荒で甘ちゃんで芸術家肌だった宮沢賢治が、
後世で「すごい作家先生」としてもてはやされているそのギャップに驚きます。
 
 
書き残した作品の美しいイメージのせいで、本人まで清く正しいイメージにされてしまっているんですね。
 
 
うーん、イメージって怖いわ。
 
 
本人の預かり知らぬところで一人歩きしてしまうんですね・・・・
 
 
以上、宮沢賢治から見る、エゴと「自分勝手さ」の重要性についてでした!